2018年 12月号 第108回「般若心経の話十九」
「無」という言葉は後に続く言葉の否定の意味
「無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得」
皆さんもお気づきのように、先月の部分も今月の部分も、やたらに「無」が出てきます。
この「無」という言葉は後に続く言葉の否定の意味があり、お釈迦様の教えの真髄である「縁起」や「四諦」を否定しているように感じられます。
「縁起」とは「縁が無ければ物事は起こらない」ということで、何かの物事が起きるには無数の接点(縁)が重なり合って初めて変化が生じる。という事です。
縁起の考え方は「自分は不変である」と思い違いをしている私たちに「縁の組み合わせが変われば全てが変わる」という事を教えてくれています。
そして「四諦」とは仏教の四つの真理で「苦集滅道」の事を表わしています。
縁起も四諦もお釈迦様の根本的な教えなので、拘らなければいけないと思いますが、拘り過ぎると本質が見えなくなってしまいます。
そこでお釈迦様は「無」という言葉を付けて、拘り過ぎてはいけない。基本は大切にしなければいけないが、自らの応用力までも否定してはいけないと言われているのではないでしょうか。
- 苦集滅道:くじゅうめつどう
- 四諦:したい
- 縁起:えんぎ
- 無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得:むむみょうやくむむみょうじんないしむろうしやくむろうしじんむくじゅうめつどうむちやくむとく