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2017年 4月号 第88回「お彼岸②」

彼岸会は日本独自の行事とみるのが一般的です。

仏教はインドに始まり中国・韓国を経て日本へ伝わりましたが、彼岸会はどちらの国にもない日本独自の行事とみるのが一般的です。 日本の書物の上で彼岸会が初めて出て来るのが、「日本後記」で大同元年(八〇六年)政争の渦にまきこまれて無残な死を遂げた早良親王の怨霊に悩まされて、政界は親王に崇道天皇と追号をおくり、その霊を慰める為に彼岸の七日間の仏事を営んだと書かれています。 彼岸のお中日には、太陽が真東から昇り真西に沈むのは皆さんご存知かと思いますが、聖徳太子が建立された大阪の四天王寺の西門の額には、太子自筆とされる「釈迦如来転法輪処、当極楽土東門中心」の文字が書かれており、四天王寺の西門が極楽浄土の東門に向き合っているという信仰が、そこから生まれました。 一度行かれると分かりますが、四天王寺の西門の前は下り坂になっていて、現在は家がびっしり建ち並んでいますが、当時はおそらく難波の海が眼下に見渡せたのでしょう。 彼岸の日の夕方、西門から海に沈む夕日の方向を現実に存在する浄土に見立てて入水し、浄土行(自殺行)を果たす信者も見られたそうです。

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