2016年 3月号 第75回「戒名・法名の話②」
名前が正しくないと全てのことが始まらない!
「名」について、孔子の『論語』(第十三)に、こんな話があります。門弟の子路が孔子に対して「衛の国王から政治をまかされたら、先生はまず始めに何から着手されますか」と尋ねました。すると孔子は「まず名を(実質どおりに)正しくする」と言われ、また「名が正しくないと言葉に秩序がなくなり、仕事にならない。礼節も音楽も失われ、道理がなくなるから、刑罰が乱れ、人々は不安で手足を休める事も出来ないからだ」とも言われたそうです。つまり「名」には実質(内容)が伴うことが大切で、「名」が正しくないと全てのことが始まらない。と孔子は説いています。日本においても「名実ともに日本一」とか「名は体を表す」などと言います。 中国には「名僧伝」が無く「高僧伝」しかありません。これは、名前だけ有名で中身は空っぽの坊さんではなく、名実ともに高潔な高僧たちの伝記を後の世の手本として残したからです。
- 名僧伝:めいそうでん
- 子路:しろ
- 体:たい
- 門弟:もんてい
- 高潔:こうけつ
- 名実:めいじつ
- 論語:ろんご
- 高僧伝:こうそうでん
- 衛:えい
- 孔子:こうし