2015年 4月号 第64回「お彼岸とお墓参り③」
春分・秋分の頃をなぜ「お彼岸」と言うのでしょう?
春分・秋分の頃をなぜ「お彼岸」と言うのでしょう?「彼岸」とは「彼方にある岸」のことで、向こう岸です。逆に大きな川や海をはさんだこちら側は「此岸」です。仏教では、二つの岸を「悟り」と『迷い』の世界、あるいは「極楽浄土」と「娑婆」に例えます。私たち一般人は「あの世」と「この世」と言っていますね。浄土宗や真宗で大切にする「観無量寿経」というお経には、極楽浄土を思い浮かべる十三の方法が説かれています。その第一は、正座して日没を観る「日想観」です。日本に大きな影響を与えた中国浄土教の開祖「善導」はこれについて「その日は太陽が真東に出て真西に沈み、阿弥陀仏の国は日没のところ、真西に十万億刹の彼方にある」(観経蔬第三)と書いています。(十万億刹とは、十万億の国々を過ぎたところという意味で、我々には想像もできないほど遠いところ)平安時代の中ごろから、お彼岸は「亡き人を弔い極楽往生を願う日」として、さまざまな階層にまで広まったので、お彼岸にお墓参りをする習慣が生まれたのは、ごく自然の事だったのでしょう。
- 観経蔬:かんぎょうしょ
- 刹:さつ
- 善導:ぜんどう
- 日想観:にっそうかん
- 観る:みる
- 観無量寿経:かんむりょうじゅきょう
- 娑婆:しゃば
- 悟り:さとり
- 此岸:しがん
- 彼方:かなた