2015年 3月号 第63回「お彼岸とお墓参り②」
聖徳太子の頃にはお彼岸があった
聖徳太子とお彼岸『今昔物語』巻第十一にある「聖徳太子、天王寺を建てる語」に、「天王寺の西門に聖徳太子はみずから(釈迦如来転法輪所、当極楽土東門中心)と、お書きになりました。そこで天皇、公家、お坊さん、民衆にいたるまで、さまざまな人々が西門で阿弥陀様の念仏を唱え、今日まで絶える事がなく、お参りしない人はいない」とあります。こうした事から聖徳太子の頃にはお彼岸があったと思われます。桓武天皇も四天王寺へ八○一年の春彼岸に臨幸されました。大坂・四天王寺では、お彼岸の中日に沈む夕日(真西に沈む)が西門の石の鳥居の中に沈みます。この鳥居が「極楽の東門」です。ここに入る夕日を拝み、阿弥陀様の西方浄土へ極楽往生を願う、という信仰が生まれました。後白河法皇など多くの法皇や天皇、藤原一門の貴族や歌人、最澄、法然などのお坊さん、源頼朝などの武士や一般市民など多くの人がお参りした記録が残っています。一千年後の現在でも、春と秋のお彼岸は多くの人が夕日を拝みに四天王寺へ訪れます。そして四天王寺周辺には今でも「夕陽が丘」という地名が残っています。
- 当極楽土東門中心:とうごくらくどとうもんちゅうしん
- 源頼朝:みなもとのよりとも
- 釈迦如来転法輪所:しゃかにょらいてんぽうりんしょ
- 法然:ほうねん
- 最澄:さいちょう
- 後白河法皇:ごしらかわほうおう
- 極楽往生:ごくらくおうじょう
- 西方浄土:さいほうじょうど
- 鳥居:とりい
- 真西:まにし
- 臨幸:りんこう
- 桓武天皇:かんむ
- 公家:くげ
- 語:ものがたり
- 今昔物語:こんじゃくものがたり