2022年1月1日 土曜日
社長のひとりごと ~第2回墓デミー賞~
新年あけましておめでとうございます。旧年中は、大変お世話になり、本当にありがとうございました。
私たちにとって昨年は、いつにも増してお墓づくりを通して多くのお客様とご縁をいただいた年でした。
さて、今回は「墓デミー賞」の大賞作品をご紹介したいと思います。「墓デミー賞」とは、墓デミー賞実行委員会が新型コロナウィルスの影響で、今まで当たり前に行けていたお墓参りが帰省の自粛でできなくなったり、「墓じまい」が加速する昨今、生きているものが向き合える場「お墓」が無意味に失われていくことを懸念して、お墓参りを「知る」「感じる」そして「行きたくなる」ような、お墓参りの写真と作文を募集し、優秀な作品を表彰するものです。
第2回墓デミー賞 最優秀作品賞
「もう、怒ってないよ」
Hに会いに行った。急に会いたくなった。感染症が拡大し、何処にも出掛けられない日々に疲れていた。たまには散歩でも、と思ってサンダル履きで出かけたら、街角の花屋に目を奪われた。
店先で咲き乱れる花々を眺めているうちに、ふと、「もう、会ってやってもいいかな」、そう思ったのだ。
そうだ、会って、文句の一つでも言ってやろう。花屋で元気が出そうなビタミンカラーを二つ束ねてもらい、コンビニで買い物を済ませ、タクシーに飛び乗った。
寺務所で場所を聞き、手桶に水を満たしてHの元へ向かう。江戸時代から続く由緒正しいお宅でねえ、という声が背中から追いかけてきた。それもまたHを苦しめたのだろうな、という思いを飲み込んだ。
コロナ禍が全国を襲い、教員だったHは、オンライン授業などで負担が増す中、次第に心を病んでいった。そしてある日、自らに手を掛け病院に担ぎ込まれたのだ。ショックを受けた妻子は去り、人との接触が厳しく制限される中、Hは孤独を極めていった。
家族が戻るまで何とか代わりを務めなくてはー来る日も来る日もHの話を聞いた。子供の頃のこと、学生時代のこと、家族のこと、仕事のこと・・・いつしか夏は終わり、秋が過ぎ、冬を迎えた。
スマホが鳴ってHからメッセージ。
「今夜は冷えますね。そちらはどうですか?」
「こっちも寒いですよ。来週いつ会えますか?」
返信したが、返事がない。日程を調整しているのだろう、と思いながら眠りについた。
Hの奥様から電話を頂いたのは、二日後のこと。
「Hが亡くなりました」
寄り添ってきたつもりが、死なせてしまった。私は一体何をしてきたのか。私の記憶はそこで途絶えている。心身を病み、起き上がれなくなった。悲しみと後悔、無気力、怒り、様々な負の感情に襲われた。
周囲を悲観のどん底に陥れたH。彼を赦すつもりはなかったが、半年後、何かに突き動かされるように花を買い、手桶に水を汲み、墓前に立った。
墓には彼の名も刻まれており、「長期の調査に出掛けたのだろう」という都合の良い妄想を打ち砕いた。手向けられたたくさんの花は、多くの人が死んだHに会いに来たことを物語っている。目の前に現実を突きつけられ、私は狼狽えた。
行き場のない感情を持て余し、彼の名を指で何度もなぞった。墓を洗い、花を供え、声に出して「バカ」と言ってみた。「ごめん。泣かないで」今にもそんな声が聞こえてきそうだった。
生きることに苦しみぬいたH。そちらはどうですか?もうT先生には会えましたか?返事はなかったが、線香の煙はまっすぐ夏空へ上がっていった。
先祖が子孫を見守るという信仰は、ある時代からこの列島に根づいている。墓は先祖と子孫をつなぐ場所という考えもあるだろう。ただ、そればかりではなく、墓は、互いに赦し、赦される場のような気もしている。「もう怒ってないよ」。この次は、もう少し大きな声で言ってやろうと思う。
いかがでしたでしょうか。お墓版GoToキャンペーン「お墓参りに行こう」。コロナ禍の今だからこそ、お墓とご先祖様を大切に思う気持ちを感じたいものですね。