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お墓の豆知識マイタウンとうと

平成24年より多治見市東濃地区のタウン情報誌「マイタウンとうと」に
毎月掲載されている佐藤社長によるお墓にまつわる豆知識や言い伝えなどのコラム
「日本人とお墓の話」のバックナンバーをご覧になれます。

2016年(平成28年)の掲載記事

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11月号 第83回
「石屋の修行②」

父親から脅されて行った石屋の職場見学でしたが、言われたのとは全く違いとても親切に案内されました。

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10月号 第82回
「石屋の修行①」

お墓の話からはちょっとそれますが、私は大学を卒業後、愛知県の岡崎市で四年間石工の修行をしました。

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9月号 第81回
「日本人は墓参りの達人」

お墓参りの習慣はすごく宗教的な行動です。ご先祖様に手を合わせる「先祖教」とも言える宗教行動の表れです。

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8月号 第80回
「法名・戒名の話⑦」

お寺から授かる戒名の位号には、「居士・信士」(男)の他にも「禅定門」(男)「禅定尼」(女)や大居士・清大姉・童子・童女・嬰児・孩子・水子などがあります。

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7月号 第79回
「法名・戒名の話⑥」

日本に於いて、法名や戒名はいつから出来たのでしょう。
戒名の事が書いてある文献で一番古いものは、室町時代の「松平記」(一五三五)だそうです。

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6月号 第78回
「法名・戒名の話⑤」

「法名は授戒の後授けらるるが故に戒名とも称す。」とあります。これはもちろん生前にいただく名前のことです。

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5月号 第77回
「戒名・法名の話④」

「法名は授戒の後授けらるるが故に戒名とも称す。」とあります。これはもちろん生前にいただく名前のことです。

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4月号 第76回
「戒名・法名の話③」

戒名や法名のルーツとは、いったい何でしょうか。昔々、日本や中国では成人に対して「本名」で呼ぶ事を避けていました。

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3月号 第75回
「戒名・法名の話②」

「名」について、孔子の『論語』(第十三)に、こんな話があります。門弟の子路が孔子に対して「衛の国王から政治をまかされたら、先生はまず始めに何から着手されますか」

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2月号 第74回
「戒名・法名の話①」

最近は「お寺離れ」とかで、直接火葬や埋葬する方が増えたようですが、まだまだお寺様でお葬式をあげる方が大半だと思います。

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1月号 第73回
「浄土真宗とお墓⑥」

浄土真宗には親鸞聖人のご遺徳を慕い、聖人のお側にありたいという願いから祖壇に納骨(分骨)する習慣があります。

2016年 11月号 第83回「石屋の修行②」

とても刺激的で賑やかな会社でした。

父親から脅されて行った石屋の職場見学でしたが、言われたのとは全く違いとても親切に案内されました。 言われていた石屋の雰囲気と全く違っていた理由は、親方が代々続いた老輔の石屋出身ではなく、九州出身で一度は東京で就職したものの脱サラして石屋になったという、岡崎でも異色の石材店だったというのに気が付いたのは入社してからでした。 親方は石屋としての修行期間は短かったみたいですが彫刻のセンスはとても良く、石仏彫刻専門の会社としては岡崎で三本の指に入るほどの技術を持ち、全国の良い石造物を見て回るなど、とても研究熱心な人でした。 そんな人柄なので石屋だけでなく石を使った彫刻家なども工場の一角を間借りして自分の作品を作ったり、東京芸大の教授も自分の作品を作るのに岡崎まで来て一緒に作ったりと、常に石屋以外の人間が出入りし、とても刺激的で賑やかな会社でした。 お陰さまで普通の石屋の小僧では得られないような経験をさせていただいた事が今の自分に繋がっていると感謝しています。

2016年 10月号 第82回「石屋の修行①」

愛知県の岡崎市で四年間石工の修行をしました。

お墓の話からはちょっとそれますが、私は大学を卒業後、愛知県の岡崎市で四年間石工の修行をしました。 岡崎市というと、四国の庵治、関東の真壁と並び石製品の3大産地の一つです。その中でも岡崎市には、日本で唯一の職業訓練校石材科が有るので、全国から石屋の卵が修行に集まってきます。 時はまさに高度成長時代。今と違い、作れば売れる時代でしたので、岡崎の石屋さんは安くて豊富な小僧を使いしっかり儲けていたのでしょう。 一言で石屋と言ってもいろいろあり、山で石を採掘しているのは山石屋、石灯篭だけを作る石屋もあれば墓石だけを作る石屋、彫刻物専門の石屋もありました。大学四年の後半、他の友人は就活に励んでいる中、私は岡崎の石佛彫刻専門店へ下見に行ったのです。 父親からは、石屋の職人は、頑固で気難しい人が多いから気を付けるように。石屋の道具「セットウ、ノミ、コヤスケ、サシガネ」などがそこらへんに置いてあっても絶対跨いだらダメだから。道具は石職人の命だからこっぴどく叱られるから。と脅されて職場見学に行ったのでした。

2016年 9月号 第81回「日本人は墓参りの達人」

お墓参りの習慣はすごく宗教的な行動です。

もうすぐ秋のお彼岸です。お彼岸にはお墓参りに行かれる方が多いと思います。 最近では「うちは無宗教だから」と言う方が増えてきましたが、そんな方でもお彼岸やお盆にはお墓参りには行かれます。 このお墓参りの習慣はすごく宗教的な行動です。ご先祖様に手を合わせる「先祖教」とも言える宗教行動の表れです。 日本語の「お墓参り」という言葉の中には、お墓に行き、お墓掃除をし、花を立て、香を焚き、灯明をあげ、水を打ち、手を合わせてご先祖様の冥福を祈る。という動作すべてが含まれています。 外国語にはこれと同じ意味を持つ言葉はありません。 しかし多くの日本人はこの動作を特別のものだと思わず、お墓参りと言えば意識しないでも自然にこの一連の動きが出来るのですから、まさに達人です。 日本人はお墓参りの達人であり、宗教意識は世界でもトップレベルなのです。 ちなみに読売新聞のとった宗教的行動のアンケートでは「初詣」や「仏壇・神棚への礼拝」をおさえて「お墓参り」が一番でした。その数値はなんと七十九%だったそうです。まさに達人です。

先祖教:せんぞきょう 香:こう
焚き:たき 冥福:めいふく

2016年 8月号 第80回「法名・戒名の話⑦」

戒名六文字の上に付く尊号が「院号(院殿号)」です。

お寺から授かる戒名の位号には、「居士・信士」(男)の他にも「禅定門」(男)「禅定尼」(女)や大居士・清大姉・童子・童女・嬰児・孩子・水子などがあります。 禅定門は本来浄土宗で五重相伝を受けた人に付けた位号ですが、今では他宗派でも使います。 子供の場合は七歳から十五歳ぐらいまでを「童子」「童女」それ以下の子供は「幼児」「嬰児」「孩子」などを使います。不幸にも死産や流産をされた場合は「水子」とします。 戒名六文字の上に付く尊号が「院号(院殿号)」です。これは本来、皇族や武士などが出家、隠棲した住居をお寺に寄進した場合などに贈られたものです。 浄土真宗の場合、院号や道号・位号を付けません。「釋○○」男・「釋尼○○」女だけです。 最近ではお寺との関係が疎遠になり「信仰」が薄れる事により「戒名」の価値が感じられなくなってきていますが、本来「戒名」には「名を正す」事により、亡くなった故人にあの世で仏様となり安らかに極楽往生していただくという、素晴らしい仏教の「死者を救う」理念がある事を忘れてはならないと思います。

位号:いごう 禅定門:ぜんじょうもん 禅定尼:ぜんじょうに 大居士:だいこじ
清大姉:せいだいし 嬰児:えいじ 孩子:がいじ 水子:すいじ
五重相伝:ごじゅうそうでん 尊号:そんごう 隠棲:いんせい 釋:しゃく
釋尼:しゃくに

2016年 7月号 第79回「法名・戒名の話⑥」

聖武天皇は鑑真和上から授戒され、法名「勝満」を受けられました。

聖武天皇は鑑真和上から授戒され、法名「勝満」を受けられました。以後歴代天皇のうち三十代もの天皇が法名を受けておられます。 ところで「勝満」は二字ですが、私たちが普段目にする戒名は、もっと字数が多いと思いませんか? 実は戒名と呼ばれるものは本来二字で、それ以外のものが付属した物を一般的に戒名と読んでいます。見慣れた戒名は 「△△□□信士(信女)」 で、上の△の部分は「道号」と言い、中国の禅宗で仏道を極めた時、戒名とは別に付けたもので「字」とも言います。 一休宗純や夢想礎石の「一休」と「夢想」が道号です。未成年の時は道号を付けません。浄土宗では「誉号」があります。 □の部分が戒名です。ここに亡くなった個人の特徴を表すような文字を入れる事が多くあります。現在はお寺との行き来が少なくなり、個人の人柄が伝わりにくくなり、この部分に名前から一文字取る事が多くあります。 一番下の信士(信女)の部分は「位号」と言い在家の篤信家などは居士(大姉)をいただいたりします。

聖武天皇:しょうむてんのう 鑑真和上:がんじんわじょう 授戒:じゅかい
勝満:しょうまん 信士:しんじ 信女:しんにょ
道号:どうごう 字:あざな 一休宗純:いっきゅうそうじゅん
夢想漱石:むそうそうせき 誉号:よごう 位号:いごう
篤信家:とくしんか 居士:こじ 大姉:だいし

2016年 6月号 第78回「法名・戒名の話⑤」

法名や戒名はいつから出来たのでしょう。

日本に於いて、法名や戒名はいつから出来たのでしょう。 戒名の事が書いてある文献で一番古いものは、室町時代の「松平記」(一五三五)だそうです。その後、江戸時代になって檀家制度が出来ると、宗派別に「戒名」「法名」「法号」など呼び方が分かれてきます。 この地方で多い臨済宗や曹洞宗などの禅宗では「戒名」と言いますが、浄土真宗は「戒」の授受が有りませんから、「戒名」と呼ばずに「法名」と言います。 また、日蓮宗では「戒名」の他に「法号」とも言います。これは、「法華経」でお釈迦様が智恵第一の弟子と言われた、舎利佛に「華光如来」の号(仏号=法号)を授けた事に由来します。(法華経ひ喩品第三) 聖武天皇は鑑真和上から授戒され、法名「勝満」を受けられました。以後歴代天皇のうち三十代もの天皇が法名を受けてみえます。 日本で最初に付けられた法名は飛鳥時代に司馬達等の娘(嶋)が十一歳で出家した時に付けられた「善信尼」が始めだそうです。  次回からは戒名の中身について簡単に説明しようと思います。

檀家制度:だんかせいど 舎利佛:しゃりほつ 華光如来:けこうにょらい
聖武天皇:しょうむてんのう 鑑真和上:がんじんわじょう 勝満:しょうまん
司馬達等:しばたつと 善信尼:ぜんしんのあま

2016年 5月号 第77回「戒名・法名の話④」

戒名は仏弟子になったあかしにいただく名前

「法名は授戒の後授けらるるが故に戒名とも称す。」とあります。これはもちろん生前にいただく名前のことです。
多くの仏教国の中で日本だけは、亡くなると髪を剃り(剃髪)、戒を授けて(授戒)、戒名(法号)を付ける習慣が生まれました。これは日本の「言霊」や死後に付ける「諱」の考え方も影響しているとおもわれます。
もともと「戒名」と「法名」に違いはありません。世俗の生活を捨て(俗名を捨て)仏教の信仰に生きる仏弟子となった「あかし」にいただく名前です。それが亡くなった後に戒名(法名)を付けるようになるのは、仏教によって「死者を救う」ためでした。
亡くなった人を仏様として「成仏」させ、苦しみの無い安楽の「極楽浄土」へ往生させるには、どうしても故人を「剃髪」し「授戒」させて仏弟子とする必要があったのです。その仏弟子になった「あかし」が、没後の戒名(法名)で、仏式の葬儀はまさに故人の得度式なのです。

名字:みょうじ 出家授戒:しゅっけじゅかい 言霊:ことだま 極楽浄土:ごくらくじょうど
法号:ほうごう 俗名:ぞくみょう 諱:いみな 往生:おうじょう
法諱:ほうき 剃髪:ていはつ 仏弟子:ぶつでし 得度式:とくどしき
称す:しょうす 授戒:じゅかい 安楽:あんらく

2016年 4月号 第76回「戒名・法名の話③」

生前の功績をたたえて贈る称号「諡(おくりな)」

戒名や法名のルーツとは、いったい何でしょうか。昔々、日本や中国では成人に対して「本名」で呼ぶ事を避けていました。本名には魂が宿っているので、みだりに呼んではいけないという考え方です。
そこで人々は本名のかわりに「字」や「諱」を付けて呼ぶことにしました。「字」は成人(元服)した時に付ける名前。「諱」は「忌み名」のことで、人が亡くなると生前の名前で呼ぶことを避けるために付けました。また、生前の功績をたたえて贈る称号を「諡」と言います。古代中国の「礼」の決まりで、中国の天子や日本の天皇、あるいは朝廷から贈る「諡」を「諡号」と言います。ちなみに弘法大師や伝教大師も「諡号」です。
中国では三千年以上も前から「字」や「諱」、「諡」が定められ、日本にも影響を与えました。後に中国や朝鮮から仏教が伝わると共に、「戒名」「法名」という新しい名前が日本に入ってきました。

字:あざな 諡:おくりな
諱:いみな 諡号:しごう
元服:げんぷく 弘法大師:こうぼうだいし
忌み名:いみな 伝教大師:でんぎょうだいし

2016年 3月号 第75回「戒名・法名の話②」

名前が正しくないと全てのことが始まらない!

「名」について、孔子の『論語』(第十三)に、こんな話があります。門弟の子路が孔子に対して「衛の国王から政治をまかされたら、先生はまず始めに何から着手されますか」と尋ねました。すると孔子は「まず名を(実質どおりに)正しくする」と言われ、また「名が正しくないと言葉に秩序がなくなり、仕事にならない。礼節も音楽も失われ、道理がなくなるから、刑罰が乱れ、人々は不安で手足を休める事も出来ないからだ」とも言われたそうです。つまり「名」には実質(内容)が伴うことが大切で、「名」が正しくないと全てのことが始まらない。と孔子は説いています。日本においても「名実ともに日本一」とか「名は体を表す」などと言います。
中国には「名僧伝」が無く「高僧伝」しかありません。これは、名前だけ有名で中身は空っぽの坊さんではなく、名実ともに高潔な高僧たちの伝記を後の世の手本として残したからです。

孔子:こうし 衛:えい 高僧伝:こうそうでん
論語:ろんご 名実:めいじつ 高潔:こうけつ
門弟:もんてい 体:たい
子路:しろ 名僧伝:めいそうでん

2016年 2月号 第74回「戒名・法名の話①」

名前は「言霊(ことだま)」という考えからつけられる

最近は「お寺離れ」とかで、直接火葬や埋葬する方が増えたようですが、まだまだお寺様でお葬式をあげる方が大半だと思います。お寺様でお葬儀をあげられると必ず「戒名」や「法名」を授かることになりますが、その「戒名・法名」にはどんな意味があるのでしょうか。戒名や法名もそうですが名前というと、古来、日本には本名の他に幼名、字、渾名、芸術家などの俳号や雅号、歌舞伎や芸事の芸名、力士の四股名、夜のネオン街には源氏名など、いろいろな名前があります。
日本人は昔から本名以外にいろんな名前を付けてきましたし、今でもそうした習慣が残っています。これは、命名・改名や襲名して名跡を継ぐと、その人の運命や人格が変わるという、日本の「言霊」の考えが根底にあります。言霊とは言葉や名前に霊魂が宿る事です。名前を付けたり替えたりすると、その名前にふさわしい「たましい」が宿る、というのです。ですから、生まれてきた子供の命名をとても大切にしてきましたし、襲名や改名にこだわってきました。

本名:ほんみょう 俳号:はいごう
幼名:ようみょう 雅号:がごう
字:あざな 四股名:しこな
渾名:あだな 言霊:ことだま

2016年 1月号 第73回「浄土真宗とお墓⑥」

浄土真宗は墓石に刻む文字は「○○家之墓」ではなく…?

浄土真宗には親鸞聖人のご遺徳を慕い、聖人のお側にありたいという願いから祖壇に納骨(分骨)する習慣があります。蒲池勢至先生によりますと、十七世紀後半(江戸時代寛文年間)から始まったそうですが、今では年間一万五千件もの納骨があるそうです。本来は地元のお墓への納骨が主で、遺骨の一部を本山に納める分骨という形態が主でしたが、最近では費用の安さから全骨納める方も増えているようです。
また、浄土真宗は「五輪塔を建てない」ということをよく耳にしますが、近畿地方や広島、福井などごく一部の地域を除いては、浄土真宗の方も五輪塔を建てられますし、愛知県岡崎市の妙源寺所蔵の「親鸞絵伝」(重要文化財)のご聖人のお墓は五輪塔です。墓石の正面に彫刻する文字は禅宗の人が「〇〇家之墓」と彫ることが多いのに対して、浄土真宗は「南無阿弥陀仏」や阿弥陀経の中にある「倶会一処」(倶にお浄土で会いましょう)と彫刻することをお勧めします。
いずれにしても、迷われたら菩提寺のご住職や知識のある石材店に相談されると良いでしょう。

ご遺徳:ごいとく 俱に:ともに
祖壇:そだん 菩提寺:ぼだいじ
蒲池勢至:がまいけせいし
俱会一処:くえいっしょ

2015年(平成27年)の掲載記事

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12月号 第72回
「浄土真宗とお墓⑤」

浄土真宗が世間一般の習慣と違う点が多いのは、門徒さんが亡くなると、すべて「阿弥陀様のお浄土へ還る」という教えに基づいているからです。

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11月号 第71回
「浄土真宗とお墓④」

浄土真宗は、阿弥陀様を信じてお念仏を称える事が全てで、「戒」を受けて仏様の弟子になる必要が無いので「戒名」はありません。

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10月号 第70回
「浄土真宗とお墓③」

浄土真宗のお念仏は「自分の力(自力)」で称えるのではなく、本当は阿弥陀様の「本願の力(他力)」によってお念仏しているのです。それが正しい「絶対他力」の意味です。

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9月号 第69回
「浄土真宗とお墓②」

鎌倉時代の新しい仏教はすべて比叡山から生まれましたが「浄土宗」もその一つです。「ナムアミダブツ」と唱える人は、死後すべて浄土へ往生させる。

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8月号 第68回
「浄土真宗とお墓①」

日本の仏教には数多くの宗派が有りますが、よく聞かれるのが「他のお寺では塔婆供養をするのに、うちのお寺(浄土真宗)には無いの?」という質問です。

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7月号 第67回
「お彼岸とお墓参り⑥」

古代日本に中国から伝わった暦は陰暦(月を中心とした暦)でしたが、農業国の日本では太陽の動きで陰暦を修正した「二十四節気」がとても重宝でした。

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6月号 第66回
「お彼岸とお墓参り⑤」

お彼岸は、春分の日と秋分の日を「中日」とした前後一週間の事を言い、「入り」「中日」「明け」の三つに分かれます。

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5月号 第65回
「お彼岸とお墓参り⑤」

インドから日本へ伝わった仏教(大乗仏教)では、苦しみや迷いの世界の此岸(この世)から、迷いの無い悟りの世界の彼岸へ到達する事を「到彼岸」と言って、修行を意味しています。

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4月号 第64回
「お彼岸とお墓参り③」

春分・秋分の頃をなぜ「お彼岸」と言うのでしょう?「彼岸」とは「彼方にある岸」のことで、向こう岸です。逆に大きな川や海をはさんだこちら側は「此岸」です。

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3月号 第63回
「お彼岸とお墓参り②」

聖徳太子とお彼岸『今昔物語』巻第十一にある「聖徳太子、天王寺を建てる語」に、「天王寺の西門に聖徳太子はみずから(釈迦如来転法輪所、当極楽土東門中心)と、お書きになりました。

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2月号 第62回
「お彼岸とお墓参り①」

お墓を持っているほとんどの家庭ではお盆・お正月・お彼岸などに「お墓参り」をします。故人の月命日にもお参りをする人や、九州のようにお墓にお花が絶えない地域もあります。

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1月号 第61回
「なぜお墓は石でつくるの⑥」

日本の神話では、お墓をはさんで死者と生者が会話することの大切さを教えてくれています。お墓に関して日本人は神代の昔から「石」に霊が宿ると考えてきました。

2015年 12月号 第72回「浄土真宗とお墓⑤」

阿弥陀様のお浄土へ還る

浄土真宗が世間一般の習慣と違う点が多いのは、門徒さんが亡くなると、すべて「阿弥陀様のお浄土へ還る」という教えに基づいているからです。「ナムアミダブツ」ととなえる人は、阿弥陀様の力によって、死後すべて浄土に往生させてもらえますから、「あの世」や「六道輪廻」で苦しむ故人やご先祖様を、自力で追善し追福する必要がないのです。では、亡くなってすぐに「他力本願」で成仏できる浄土真宗の門徒さんには追善供養の必要が無いのでお墓は必要ないのでしょうか。親鸞聖人は、亡くなる前に「私が目を閉じたら、賀茂川に投げ入れて魚に与えよ」と言われました。(改邪鈔)しかし誰もその通りには出来ません。親鸞聖人は火葬にされ、末娘の覚信尼によって六角堂の「廟堂」が建てられました。やがて第三世覚如上人は、そこを本願寺としました。つまり本願寺は親鸞聖人のお墓から発展したお寺であり、ご聖人のご遺徳をしのぶ心が「お墓」となったのです。ちなみに真宗十派を合わせると日本一大きな教団ですから、お墓の数が日本一多いのも浄土真宗です。

還る:かえる 六道輪廻:ろくどうりんね
改邪鈔:がいじゃしょう 覚信尼:かくしんに
廟堂:びょうどう

2015年 11月号 第71回「浄土真宗とお墓④」

阿弥陀様を信じてお念仏を称える事が全て

浄土真宗は他の宗派と異なり「戒名」が有りません。その代わり「法名」をいただきます。浄土真宗は、阿弥陀様を信じてお念仏を称える事が全てで、「戒」を受けて仏様の弟子になる必要が無いので「戒名」はありません。そのかわりに、亡くなると「おかみそり」という帰敬式を受け、男性は「釋〇〇」女性は「釋尼〇〇」という「法名」をいただきます。これは浄土真宗に帰依(帰命)し、信仰と共に生きる「あかし」です。また、他の宗派のように「院号」や「院殿号」、「居士」「大姉」などの尊称はつけないのが一般的です。その理由は人が亡くなって浄土へ還ったら、みんな平等であるからです。他にも、死後の「霊魂」や「魂魄」を認めないので、法名の下に「霊位」を付けません。「霊魂」が無いのでお盆に「精霊棚」を作ってご先祖様の霊をお迎えする「お盆」の意味も違います。他宗ではご先祖様の霊が宿ると言われる「位牌」もありません。(代わりに「法名軸」を用います)お墓には水子の霊を供養する「水子地蔵」を建てません。これらはすべて、死後の「霊魂」を認めない浄土真宗は当然の事です。

法名:ほうみょう 称える:となえる 帰敬式:ききょうしき 釋:しゃく
釋尼:しゃくに 帰依:きえ 帰命:きみょう 院殿号:いんでんごう
居士:こじ 大姉:だいし 還ったら:かえったら 魂魄:こんぱく
霊位:れいい 精霊棚:しょうりょうだな

2015年 10月号 第70回「浄土真宗とお墓③」

「他力本願」は「阿弥陀様の本願の力」という意味

浄土真宗のお念仏は「自分の力(自力)」で称えるのではなく、本当は阿弥陀様の「本願の力(他力)」によってお念仏しているのです。それが正しい「絶対他力」の意味です。「他力本願」という言葉を誤解して解釈し「他人の力」というように理解している方が見えますが、正しくは「阿弥陀様の本願の力」という意味です。では「本願」とはいったい何でしょうか。阿弥陀様がまだ法蔵菩薩という名前で修行されていた時、四十八の誓願をお立てになりました。その事は浄土真宗の根本経典である「浄土三部経」の一つ「大無量寿経」に書いてあります。法然上人も親鸞聖人も、その第十八願を「本願」に選ばれたのです。また次の十九願や「阿弥陀経」には、「もし臨終の時に念仏をとなえる人が一人でも浄土に生まれないなら私は仏とならない」とあります。この教えが人々の大きな救いとなりました。阿弥陀様の教えを信じてお念仏をする人は、すべて平等に浄土へ往生する。という教えの浄土真宗では、他の宗派とか世間一般の先祖供養やお墓の習慣とは違う独自の考え方があります。

称える:となえる 本願:ほんがん
他力:たりき 宝蔵菩薩:ほうぞうぼさつ
誓願:せいがん 大無量寿経:だいむりょうじゅきょう

2015年 9月号 第69回「浄土真宗とお墓②」

「ナムアミダブツ」と唱える人は、死後すべて浄土へ往生させる。

浄土真宗の宗祖、親鸞上人は最初比叡山で修行され、その後浄土宗の開祖・法然上人の弟子となられました。浄土の教えは中国で生まれ、日本へは平安時代はじめに比叡山で天台宗を開かれた伝教大師・最澄によって法華経や禅や密教の教えと共に伝えられました。鎌倉時代の新しい仏教はすべて比叡山から生まれましたが「浄土宗」もその一つです。「ナムアミダブツ」と唱える人は、死後すべて浄土へ往生させる。というのが阿弥陀様の請願で、これを信じてひたすらお念仏をするのが浄土宗の「専修念仏」です。親鸞上人の教えは、基本的に法然上人と同じですが、浄土宗の「専修念仏」をさらに「真実の信心を得れば間違いなく浄土に生まれるのが浄土真宗」(唯信鈔)とする「信心往生」へと深められました。ひたすら念仏をする事は大切ですが、まず「真実の信心」がなくてはならない。という教えです。そうでないと、お念仏の回数の多さを自慢したり、念仏だけで安心してしまいます。それは浄土真宗でいう真の「絶対他力」ではなくなってしまいます。

宗祖:しゅうそ 親鸞聖人:しんらんしょうにん 比叡山:ひえいざん
法然上人:ほうねんしょうにん 伝教大師:でんぎょうだいし 最澄:さいちょう
法華経:ほけきょう 請願:せいがん 専修念仏:せんしゅうねんぶつ
唯信鈔:ゆいしんしょう 信心往生:しんじんおうじょう 絶対他力:ぜったいたりき

2015年 8月号 第68回「浄土真宗とお墓①」

浄土真宗には「戒名」や「位牌」がない

日本の仏教には数多くの宗派が有りますが、よく聞かれるのが「他のお寺では塔婆供養をするのに、うちのお寺(浄土真宗)には無いの?」という質問です。浄土真宗には「戒名」や「位牌」がなく、お墓に「梵字」を彫りません。「水子地蔵尊」や「五輪塔」も、あまりすすめません。「お盆」や「お彼岸」にも独自の考え方があり、他の宗派とは大きく違います。それは浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教えに基づく、ちゃんとした理由が有るからで、浄土真宗の教えを知らないと、こうした習慣は理解できません。浄土真宗は元来、親鸞聖人を宗祖とする「一向宗」と呼ばれていました。明治時代になって「浄土真宗」が一般的になり「真宗十派」に分かれました。その中でも親鸞聖人の流れを受けた、「お西さん」西本願寺が本山の浄土真宗本願寺派「お東さん」東本願寺が本山の真宗大谷派が、日本有数の大宗派です。本山は、どちらもJR京都駅から北に向かって歩いて行ける場所に有ります。新幹線の車窓からもよく見えます。

宗派:しゅうは 塔婆供養:とうばくよう
戒名:かいみょう 位牌:いはい
梵字:ぼんじ 親鸞聖人:しんらんしょうにん
宗祖:しゅうそ 一向宗:いっこうしゅう

2015年 7月号 第67回「お彼岸とお墓参り⑥」

二十四節気に彼岸は含まれていません。

その昔、古代日本に中国から伝わった暦は陰暦(月を中心とした暦)でしたが、農業国の日本では太陽の動きで陰暦を修正した「二十四節気」がとても重宝でした。それは一年の各月を正節と中気に分けたものです。二十四節気は、冬至・夏至・春分・秋分・立春・立冬・大寒などですが、その中に彼岸は含まれていません。彼岸は「雑節」と言って二十四節気を補うために日本でつくられた暦日の一つです。他には、土用・節分・お盆・節句・七夕などが有ります。よく「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、春分・秋分の日は、ちょうど季節の変わり目にあたり農業では欠かせない大切な目安となる日です。そんな大切な日だからこそ、昔から日本人はご先祖様や亡き人のお墓参りをしたのでしょう。「国民の祝日に関する法律」には、春分の日を「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」秋分の日は「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」とあります。一家揃ってお墓参りをしながら、自然の恵みとご先祖様のお陰で今の自分と家族があることを、心から感謝する日が、日本のお彼岸だと思います。

暦:こよみ 陰暦:いんれき
二十四節気:にじゅうしせっき 重宝:ちょうほう
雑節:ざっせつ

2015年 6月号 第66回「お彼岸とお墓参り⑤」

お彼岸は、春分の日と秋分の日を「中日」とした前後一週間の事

お彼岸は、春分の日と秋分の日を「中日」とした前後一週間の事を言い、「入り」「中日」「明け」の三つに分かれます。お供え物も「入り団子、中日ぼた餅、明け団子」にして「入り団子」は山のように盛り付け「明け団子」はバラ積みにします。地方によって、春は小さな花のつぼみ状の「ぼた餅」秋は開花した平らな「おはぎ餅」にします。季節感が有って、とてもいいですね。また、お彼岸にお盆と同じような事をする地方も有ります。例えば新潟県魚沼では、「入り」の前日の夕方に、子供たちが河原にヂサバサ(爺さ婆さ)という二組のワラの塔を燃やして「ヂサもバサも、この明かりについて、きなれ、きなれ」と呼びながらご先祖様をお迎えし、「明け」には「この明かりについて、いぎなれ、いぎなれ」とお送りするそうです。お彼岸のお中日に、故人の霊が集まるという「霊山」や「霊場」へお参りに行く習慣も有ります。有名なのが伊豆の日金山、奈良の二上山、香川の弥谷、高知の虚空蔵山、九州の嶽参り、阿蘇山麓の彼岸籠り、などです。そのほかには、阿弥陀様・観音様・お地蔵様の霊場を巡るところも有ります。

魚沼:うおぬま 爺さ婆さ:ぢさばさ
弥谷:いや 虚空蔵山:こくぞうやま
嶽参り:だけまいり 阿蘇山麓:あそさんろく
彼岸籠り:ひがんこもり

2015年 5月号 第65回「お彼岸とお墓参り④」

「六波羅蜜」は菩薩が修行する六つの大切な実践徳目です。

インドから日本へ伝わった仏教(大乗仏教)では、苦しみや迷いの世界の此岸(この世)から、迷いの無い悟りの世界の彼岸へ到達する事を「到彼岸」と言って、修行を意味しています。この修行の事を古代インドのサンスクリット語では「パーラミター」と言います。漢字では「波羅蜜多」又は「波羅蜜」と書きます。皆さんが写経の時によくつかわれる「般若心経」は「摩訶般若波羅蜜多心経」の略です。京都には空也上人が開いた「六波羅蜜寺」も有ります。私たちにはあまり馴染みが有りませんが「六波羅蜜」は菩薩が修行する六つの大切な実践徳目です。その内容は、
① 布施=財物・教え・安心を与える事  ② 持戒=戒律を守る事
③ 忍辱=苦難を堪え忍ぶ事       ④ 精進=仏道を実践し、はげむ事
⑤ 禅定=心や精神を統一する事     ⑥ 智恵=真理を見極め悟りを完成させる事
私たちの生活に当てはめると、「人に親切で、人としての生き方を守り、自分のやるべき事を務め、つらさに堪え、しかも感情的にならず、いつも物事の本質を見極める」事でしょう。

此岸:しがん 到彼岸:とうひがん 波羅蜜多:はらみった 波羅蜜:はらみつ
持戒:じかい 戒律:かいりつ 忍辱:にんにく 堪え:たえ
精進:しょうじん 禅定:ぜんじょう 智恵:ちえ 布施:ふせ
般若心経:はんにゃしんぎょう 大乗仏教:だいじょうぶっきょう
六波羅蜜寺:ろくはらみつじ 六波羅蜜:ろくはらみつ
実践徳目:じっせんとくもく 空也上人:くうやしょうにん
摩訶般若波羅蜜多心経:まかはんにゃはらみったしんぎょう

2015年 4月号 第64回「お彼岸とお墓参り③」

春分・秋分の頃をなぜ「お彼岸」と言うのでしょう?

春分・秋分の頃をなぜ「お彼岸」と言うのでしょう?「彼岸」とは「彼方にある岸」のことで、向こう岸です。逆に大きな川や海をはさんだこちら側は「此岸」です。仏教では、二つの岸を「悟り」と『迷い』の世界、あるいは「極楽浄土」と「娑婆」に例えます。私たち一般人は「あの世」と「この世」と言っていますね。浄土宗や真宗で大切にする「観無量寿経」というお経には、極楽浄土を思い浮かべる十三の方法が説かれています。その第一は、正座して日没を観る「日想観」です。日本に大きな影響を与えた中国浄土教の開祖「善導」はこれについて「その日は太陽が真東に出て真西に沈み、阿弥陀仏の国は日没のところ、真西に十万億刹の彼方にある」(観経蔬第三)と書いています。(十万億刹とは、十万億の国々を過ぎたところという意味で、我々には想像もできないほど遠いところ)平安時代の中ごろから、お彼岸は「亡き人を弔い極楽往生を願う日」として、さまざまな階層にまで広まったので、お彼岸にお墓参りをする習慣が生まれたのは、ごく自然の事だったのでしょう。

彼方:かなた 此岸:しがん
悟り:さとり 娑婆:しゃば
観無量寿経:かんむりょうじゅきょう 観る:みる
日想観:にっそうかん 善導:ぜんどう
刹:さつ 観経蔬:かんぎょうしょ

2015年 3月号 第63回「お彼岸とお墓参り②」

聖徳太子の頃にはお彼岸があった

聖徳太子とお彼岸『今昔物語』巻第十一にある「聖徳太子、天王寺を建てる語」に、「天王寺の西門に聖徳太子はみずから(釈迦如来転法輪所、当極楽土東門中心)と、お書きになりました。そこで天皇、公家、お坊さん、民衆にいたるまで、さまざまな人々が西門で阿弥陀様の念仏を唱え、今日まで絶える事がなく、お参りしない人はいない」とあります。こうした事から聖徳太子の頃にはお彼岸があったと思われます。桓武天皇も四天王寺へ八○一年の春彼岸に臨幸されました。大坂・四天王寺では、お彼岸の中日に沈む夕日(真西に沈む)が西門の石の鳥居の中に沈みます。この鳥居が「極楽の東門」です。ここに入る夕日を拝み、阿弥陀様の西方浄土へ極楽往生を願う、という信仰が生まれました。後白河法皇など多くの法皇や天皇、藤原一門の貴族や歌人、最澄、法然などのお坊さん、源頼朝などの武士や一般市民など多くの人がお参りした記録が残っています。一千年後の現在でも、春と秋のお彼岸は多くの人が夕日を拝みに四天王寺へ訪れます。そして四天王寺周辺には今でも「夕陽が丘」という地名が残っています。

今昔物語:こんじゃく 語:ものがたり 公家:くげ
桓武天皇:かんむ 臨幸:りんこう 真西:まにし
鳥居:とりい 西方浄土:さいほうじょうど 極楽往生:ごくらくおうじょう
後白河法皇:ごしらかわほうおう 最澄:さいちょう
法然:ほうねん 釈迦如来転法輪所:しゃかにょらいてんぽうりんしょ
源頼朝:みなもとのよりとも 当極楽土東門中心:とうごくらくどとうもんちゅうしん

2015年 2月号 第62回「お彼岸とお墓参り①」

お墓を持っているほとんどの家庭ではお盆・お正月・お彼岸などに「お墓参り」をします。

お墓を持っているほとんどの家庭ではお盆・お正月・お彼岸などに「お墓参り」をします。故人の月命日にもお参りをする人や、九州のようにお墓にお花が絶えない地域もあります。その影響でしょうか鹿児島県は青少年の非行が少ない県だそうです。日本と同じ仏教国であるインド・ビルマ・スリランカなどはお彼岸にお墓参りをしません。ではなぜ日本人はお彼岸にお墓参りをするようになったのでしょう。「春分の日」と「秋分の日」を中心に前後三日間を加えた一週間がお彼岸の期間で、お中日は祝日になっています。仏教行事として「彼岸会」とかがありますが、もともと春分・秋分の日は仏教と関係ありませんでした。因みに国民の祝日に関する法律では、春分の日は「自然をたたえ生物をいつくしむ」、秋分の日は「祖先を敬い亡くなった人々をしのぶ」日とされています。お彼岸の記録、というわけではありませんが、平安京を開いた桓武天皇が延暦二十五年(八〇六年)旧暦二月十七日(春分の日)弟の早良親王の霊を弔う法要を行った。というのが最古の記録です。(日本後紀)

彼岸会:ひがんえ 因みに:ちなみに
敬い:うやまい 桓武天皇:かんむ
延暦:えんりゃく 早良親王:さわらしんのう
弔う:とむらう 日本後紀:日本こうき

2015年 1月号 第61回「なぜお墓は石でつくるの⑥」

日本の神話では、お墓をはさんで死者と生者が会話することの大切さを教えてくれています。

日本の神話では、お墓をはさんで死者と生者が会話することの大切さを教えてくれています。お墓に関して日本人は神代の昔から「石」に霊が宿ると考えてきました。だから神霊が宿ると言われる「磐座」を石で作ったりしました。日本には八百万の神々がいますから、自然界のあらゆるものに霊が宿っており、なかでも石には特別の霊力があると思われたのです。たとえば、「古事記」にはスサノヲの命が天照大神に身の潔白を明かす「誓約」のとき、天照大神の八尺の勾玉に息を吹きかけると、五人の男神が生まれた話があります。つまり勾玉は霊力のある石だったのです。大化二年に出された「薄葬令」では「庶民は土に埋葬せよ」と有りましたが、庶民も河原の丸い石(枕石)を霊が宿る寄り代として埋葬地に置いていました。日本人が古代からお墓を死者の霊魂が宿る寄り代の「石」で作るのは、「石」の霊力を信じる伝統があったのです。それは一朝一夕に失われるものではありません。それが二千年の伝統の重みです。「お墓=石」という日本人の心情にはこうした神話と歴史の背景があるのです。

神代:かみよ 磐座:いわくら 八百万:やおよろず
スサノヲの命:スサノヲのみこと 天照大神:あまてらすおおみかみ 誓約:うけい
八尺:やさか 勾玉:まがたま 薄葬令:はくそうれい
枕石:まくらいし 寄り代:よりしろ

2014年(平成26年)の掲載記事

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12月号 第60回
「なぜお墓は石でつくるの⑤」

古事記に出てくる「千引岩」に込められた意味とはどんな事だったのでしょう。それは私たちが今使っている墓石の原点になっています。一つ目に、千引岩は、イザナミの命が往った・・・

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11月号 第59回
「なぜお墓は石でつくるの④」

醜い姿を見られたイザナミは「私に恥をかかせた」と、黄泉の国の魔女たちにイザナギを負わせました。それが逃れられると今度は黄泉の国の軍隊を差し向けました。

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10月号 第58回
「なぜお墓は石でつくるの③」

病気になったイザナミは、その後も水や食物の神々を生み全部で四十もの神を生み亡くなってしまいました。イザナギはイザナミの亡骸を見て「美しい妻が火の神と引き換えになるとは」・・・

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9月号 第57回
「なぜお墓は石でつくるの②」

「古事記」の中に「墓石」の話が出てくるのをご存知でしょうか。
古事記には神話としての日本の「国づくり」の事が書いてあります。

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8月号 第56回
「なぜお墓は石でつくるの①」

墓地へ行ってみると「石」でつくったお墓がずらりと並んでいます。ステンレスやセラミックでつくったお墓が話題になった事もありますが、やはり主役の座は「石」です。

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7月号 第55回
「お墓参りの達人」

よく「私は無宗教です」と言われますが、そんな方達でも、お彼岸やお盆のお墓参りは、行かれる方が多いと思います。このお墓参りの習慣はすごく宗教的な行為です。

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6月号 第54回
「塔婆供養と造塔功徳④」

古代インドのストゥーパ(お釈迦様のご遺骨を埋納したお墓)は、左図のように「基壇」の上に鉢を伏せたような覆鉢型の「塔身」が乗り、その上に四角い「平頭」が乗り、・・・

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5月号 第53回
「塔婆供養と造塔功徳③」

お釈迦様の遺言の中でもう一つ大切な事は、誰であろうと、お釈迦様のお墓を礼拝供養すると「長いあいだのご利益と幸せが起こる」事と、これがお釈迦様のストゥーパ(お墓)だと・・・

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4月号 第52回
「塔婆供養と造塔功徳②」

「卒塔婆」は、約して「塔婆」「塔」「仏塔」とも言いますが、「卒塔婆」の文字自体には意味が有りません。お釈迦様の遺骨を納めた聖なる建造物の事を古代インドのサンスクリット語で・・・

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3月号 第51回
「塔婆供養と造塔功徳①」

日本では、人が亡くなって四十九日までの間に七回の「塔婆供養」をします。またお盆や年忌供養の時にもお墓で「塔婆供養」をします。

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2月号 第50回
「五輪塔は最高のお墓⑥」

五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成する五大要素を表している。と言われますが、空海はこれに「識(識大)」を加えた「六大」という独自の教えを説きました。

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1月号 第49回
「五輪塔は最高のお墓⑤」

五輪塔を普及させた別所聖たちの重要な活動に「勧進」があります。「勧進」とは歌舞伎の「勧進帳」や「五木の子守歌」にある「おどま、かんじん、かんじん」の「かんじん」で、・・・

2014年 12月号 第60回「なぜお墓は石でつくるの⑤」

古事記に出てくる「千引岩」に込められた意味とはどんな事だったのでしょう。

古事記に出てくる「千引岩」に込められた意味とはどんな事だったのでしょう。それは私たちが今使っている墓石の原点になっています。
一つ目に、千引岩は、イザナミの命が往った「黄泉の国」(死者の国)の出口を塞ぎ死者がこの世に自由に出て来られなくする役目をしています。また墓石をむやみに開けて覗いてはいけない、死者が大地のふるさとで安らかに眠っている邪魔をしてはいけない、という意味も有ります。
二番目に千引岩は、あの世とこの世を分ける境界の役目があります。境界石と言えば「道祖神」や「賽の神」墓地の入口の「六地蔵」なども同じで、知らない異界と日常の世界とを隔てる石という意味です。
三番目には千引岩も墓石も、生きているものと亡くなったものが会話をする仲立ちの役割を果たしている石だと言う事です。古事記ではイザナギとイザナミが千引岩をはさんで将来の予言をしますが、墓石は亡くなった肉親の魂と、残された家族が心の中で素直に会話をするための仲立ちの石なのです。
それが「家族のきずな」の始まりだと私は思っています。

千引岩:ちびきいわ イザナミの命:イザナミのみこと 往った:いった 黄泉の国:よみの国
塞ぎ:ふさぎ 賽の神:さえのかみ 隔てる:へだてる

2014年 11月号 第59回「なぜお墓は石でつくるの④」

「千引岩」が神話に出てくる「墓石」の始まりです。

醜い姿を見られたイザナミは「私に恥をかかせた」と、黄泉の国の魔女たちにイザナギを負わせました。それが逃れられると今度は黄泉の国の軍隊を差し向けました。
それもなんとか逃れたイザナギは、とうとう黄泉比良坂まで逃げて来た時イザナミ自身が追って来たので、イザナギは千人でやっと動かせる巨大な「千引岩」で出口を塞ぎました。
この「千引岩」が神話に出てくる「墓石」の始まりです。
出口を塞がれたイザナミは千引岩を間に挟んでイザナギと最後の別れの言葉を交わしました。
イザナミは「あなたがこんな仕打ちをするなら、私はあなたの国の人間を一日に千人殺します。」
イザナギは「あなたがそうするなら、私は一日に千五百もの産屋を立ててみせる。」
この言葉は「人は死ぬ運命にあるが、日本の国は一日に五百人づつ人の数が増え続けて栄える」という神話的予言です。
この後イザナギが(黄泉の国の)死の穢れを身禊すると、天照大神・月読の命・スサノヲの命などの神々が生まれ、天の岩戸や八俣の大蛇退治など、おなじみの神話が展開します。

醜い姿:みにくいすがた 黄泉の国:よみの国 千引岩:ちびきいわ 塞ぎ:ふさぎ
産屋:うぶや 死の穢れ:しのけがれ 身禊:みそぎ 天の岩戸:あまのいわと
天照大神:あまてらすおおみかみ 月読の命:つくよみのみこと
黄泉比良坂:よもつひらさか 山俣の大蛇:やまたのおろち

2014年 10月号 第58回「なぜお墓は石でつくるの③」

病気になったイザナミは、その後も四十もの神を生み亡くなってしまいました。

病気になったイザナミは、その後も水や食物の神々を生み全部で四十もの神を生み亡くなってしまいました。
イザナギはイザナミの亡骸を見て「美しい妻が火の神と引き換えになるとは」と泣き、涙から生まれたのが泣沢女の神で「泣き女」の始まりです。
イザナミは亡くなった後、出雲の伯伎との境にある比婆の山に葬られましたが、妻に会いたい一心のイザナギは、あの世の「黄泉国」まで行き、「美しい妻よ、私達の国づくりはまだ完成していない。どうか帰ってきてくれ」と頼みました。
するとイザナミは「なぜもっと早く来てくれなかったの。もう手遅れです。私はあの世の食べ物を食べてしまったので、もう戻れません。でもわざわざおいでになったので、黄泉国の神様に相談いたしますから、決して私を見ないで」と言って宮殿の中に入りました。
いくら待っても帰って来ないイザナミにしびれを切らしたイザナギは、櫛の一本を折って灯をともすと、そこにはウジ虫がわき、身体には八つの雷が宿るイザナミの亡骸があったのです。驚いたイザナギは一目散に逃げ出しました。

亡骸:なきがら 泣沢女:なきさわめ 出雲:いずも 伯伎:ははき
比婆:ひば 黄泉国:よもつくに 櫛:くし 雷:いかずち
亡骸:なきがら

2014年 9月号 第57回「なぜお墓は石でつくるの②」

「古事記」の中に「墓石」の話が出てくるのをご存知でしょうか。

「古事記」の中に「墓石」の話が出てくるのをご存知でしょうか。
古事記には神話としての日本の「国づくり」の事が書いてあります。
昔々、日本列島は天の神々が、イザナギの命という男の神様とイザナミの命という女の神様に国づくりを命じて生まれました。
イザナギとイザナミが天上から下界をのぞくと、そこは何もなくドロドロした油のような世界でした。そこで天の浮橋から天の沼矛を差し込み、かき混ぜて引き上げると、矛の先からコロコロと塩が固まるようにして出来たのがオノゴロ島です。二神はその島に降りて、天の御柱を立て「柱の左右から回って出会った所で国を生もう」と誓います。
まず淡路島、次に顔が四つある伊予の島(四国)最後に生まれたのが秋津島(本州)で、日本には八つの島々からなる「大八島国」が誕生しました。国生みが終わると次は石土・風・海・山など様々な神を生み、イザナミは「火(迦具土)の神」を生んだ時、御陰を焼かれて病気になりました。
ここから始まるのが、日本最初の「墓石」の神話です。

天の浮橋:あめのうきはし 天の沼矛:あめのぬぼこ 伊予の島:いよのしま 秋津島:あきつしま
天の御柱:あめのみはしら 大八島国:おおやしま 迦具土:かぐつち 御陰:ほと
イザナギの命:イザナギのみこと イザナミの命:イザナミのみこと

2014年 8月号 第56回「なぜお墓は石でつくるの①」

日本人は「石」以外のお墓は受け付けない傾向が有ります。

墓地へ行ってみると「石」でつくったお墓がずらりと並んでいます。ステンレスやセラミックでつくったお墓が話題になった事もありますが、やはり主役の座は「石」です。
日本人は「お墓は石で」という気持ちが強く、「石」以外のお墓は受け付けない傾向が有ります。
それはなぜでしょうか?
日本は木の文化、ヨーロッパは石の文化と言いますが、日本にも驚くほどたくさんの石の文化が全国各地に残っています。
ピラミッドや石造りの宮殿は作っていませんが、日本には古代から石を「聖なるもの」として祀った遺跡がいたるところにあります。
たとえば神霊の依り代という「盤座」「石境」「磯城」縄文時代の「環状列石」蘇我馬子の墓という「石舞台」、また中世から流行する道祖神や石仏などを含めると数えきれない石造物や自然石が有ります。
「古事記」の中には「石」「岩」「磐」という字がとてもたくさん出てきます。
数えてみないと分かりませんが、「木」という字とは比較にならないほど多く出てきます。
それほど日本人は古代から「石」に霊力を感じていたのです。

祀った:まつった 依り代:よりしろ 盤座:いわくら 石境:いわさか
磯城:しき 環状列石:かんじょうれっせき 蘇我馬子:そがのうまこ

2014年 7月号 第55回「お墓参りの達人」

「日本人はお墓参りの達人」なのです。

よく「私は無宗教です」と言われますが、そんな方達でも、お彼岸やお盆のお墓参りは、行かれる方が多いと思います。このお墓参りの習慣はすごく宗教的な行為です。ご先祖様に手を合わせる「先祖教」ともいうべき宗教行動の表れなのです。
日本語の「お墓参り」という言葉の中には「お墓に行き、掃除をして花を手向け、香を焚き、水を打つ、そして手を合わせてご先祖様の冥福を祈る」という動作が含まれていますが、外国語にはこれと同じ意味の単語はありません。
しかし多くの日本人が特に意識をしなくても、この「お墓参り」の行動が出来るのですから、まさに「日本人はお墓参りの達人」なのです。
読売新聞が行った日本人の意識調査では「あなたが実際にしている宗教行為は?」という質問に対して八割近い人が「お墓参り」と答えています。
このデータからも日本人のお墓参りに対する達人ぶりがうかがえます。

先祖教:せんぞきょう 手向け:たむけ 焚き:たき 冥福:めいふく

2014年 6月号 第54回「塔婆供養と造塔功徳④」

お釈迦様のご遺骨も三重の傘で覆われています。

古代インドのストゥーパ(お釈迦様のご遺骨を埋納したお墓)は、左図のように「基壇」の上に鉢を伏せたような覆鉢型の「塔身」が乗り、その上に四角い「平頭」が乗り、その中に仏舎利を納めます。
暑いインドでは王や聖人に必ず絹の傘を差し掛ける風習が有りますが、お釈迦様のご遺骨も三重の傘で覆われています。これを「傘蓋」と言い、その傘の柄を「傘竿」と言います。
漢訳の「ストゥーパ」には、レンガ・石などを高く積み上げた場所。という意味の他に、(お釈迦様の)功徳を集めて供養をする場所。という意味もあります。
これは大変重要で、仏像がまだなかった時代に「ストゥーパはお釈迦様そのもの」という信仰があり、人々はストゥーパでお釈迦様を感じていたのでした。ちょうど私たちがお寺で「仏像」を拝むのと同じで、そのまま日本のお墓にも当てはまります。

埋納:まいのう 基壇:きだん 覆鉢型:ふくはつがた 塔身:とうしん
平頭:へいとう 傘蓋:さんがい 柄:え 傘竿:さんかん

2014年 5月号 第53回「塔婆供養と造塔功徳③」

「お墓参りをすると、お墓参りをした人は必ず《幸せ》になる。」という事をお釈迦さまが保障している

お釈迦様の遺言の中でもう一つ大切な事は、誰であろうと、お釈迦様のお墓を礼拝供養すると「長いあいだのご利益と幸せが起こる」事と、これがお釈迦様のストゥーパ(お墓)だと思い礼拝すれば「心が浄らかになり、心が浄まれば死後に、善い天の世界(浄土)に生まれる」という所です。
これはお墓の本質を知る上で大変重要な部分で、簡単に言うと「お墓参りをすると、お墓参りをした人は必ず《幸せ》になる。」という事をお釈迦さまが保障している事になります。
このお釈迦様の考えが日本にも伝わり、日本では、ご先祖様のお墓参りをすると、必ず《幸せ》になる、という思想として息づいています。
インドではお釈迦様のお墓参りをする時は、必ず右回りで心静かにお墓の回りを回ります。これは「右繞」といい、不浄な左側をお釈迦さまに向けない事から始まりました。日本のお寺の作法も同じものが有り「右繞仏塔功徳経」には仏塔を右繞して礼拝供養すると、「仏法を聞くのに妨げとなる八つの障害を離れ、どこでも正しい知恵を得て失わず、福財を得て、長寿となり、高貴な位に生まれるなどの功徳がある」と記されています。

ご利益:ごりやく 浄らか:きよらか 右繞:うにょう
右繞仏塔功徳経:うにょうぶっとうくどくきょう

2014年 4月号 第52回「塔婆供養と造塔功徳②」

「卒塔婆」の文字自体には意味が有りません。

「卒塔婆」は、約して「塔婆」「塔」「仏塔」とも言いますが、「卒塔婆」の文字自体には意味が有りません。お釈迦様の遺骨を納めた聖なる建造物の事を古代インドのサンスクリット語でストゥーパと言い、それを漢字に音写したものが「卒塔婆」です。
因みにインド最古の現存ストゥーパは「サンチー第一塔」で紀元前三世紀頃にアショーカ王によって建てられ、今は世界文化遺産に指定されています。
前回ご紹介した、お釈迦様の遺言の中には、とても大切なことが二つ有ります。その一つがお釈迦様のストゥーパの礼拝供養には、花輪とお香と顔料と浄らかな心を持って礼拝しなさい。という部分です。「顔料」はインドの風習でいつもお墓をきれいにする塗料ですが、日本では「お水」にあたります。二千五百年前からの古代インドのお墓参りと今の日本のお墓参りが、まったく同じ作法である事に驚かされます。

卒塔婆:そとうば 遺骨:いこつ 礼拝供養:らいはいくよう
浄らか:きよらか 顔料:がんりょう

2014年 3月号 第51回「塔婆供養と造塔功徳①」

人が亡くなって四十九日までの間に七回の「塔婆供養」をします。

日本では、人が亡くなって四十九日までの間に七回の「塔婆供養」をします。またお盆や年忌供養の時にもお墓で「塔婆供養」をします。
日ごろよく見かける「塔婆」ですが、いったいあの板にはどんな意味があるのでしょう。
お釈迦さまが涅槃に入られた時に、弟子たちに語られた言葉が「大般涅槃経」というお経に書かれています。その中に「卒塔婆」の事が書かれています。
「アーナンダ(お釈迦様の弟子の阿難尊者)よ。悟りを得たブッダは、世界を支配する帝王がもっとも丁重に火葬をするべきです。そして四つ辻にブッダのストウーパ(卒塔婆)を建てなさい。
誰であろうと、そこに花輪・香料・顔料をささげて礼拝し、心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだのご利益と幸せが起こるでしょう。
(中略)アーナンダよ。これはブッダのストウーパであると思うなら、多くの人は心が浄らかになる。心が浄らかになれば、かれらは死後に善い天の世界(浄土)に生まれるでしょう。
アーナンダよ。この道理によって、人々はブッダのストウーパを拝むべきです。」

涅槃:ねはん 卒塔婆:そとうば 阿南尊者:あなんそんじゃ
浄らか:きよらか 大般涅槃経:だいはつねはんぎょう

2014年 2月号 第50回「五輪塔は最高のお墓⑥」

五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成する五大要素を表している。

五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成する五大要素を表している。と言われますが、空海はこれに「識(識大)」を加えた「六大」という独自の教えを説きました。
密教で使われる金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅には、どちらにも中心に大日如来がおられ、二つが揃って初めて完全な曼荼羅と大日如来となります。そして二つの曼荼羅の大日如来はそれぞれ違った手の結び方をしています。これを「印」を結ぶ、と言います。
左図の上の手が金剛界の「智拳印」、下の手の結び方が「定印」です。これで初めて「五輪塔には二つの曼荼羅と大日如来が含まれている」という覚鑁の言葉が理解できます。
覚鑁「五輪九字明秘密釈」より
空海の目指した「即身成仏」には「身・口・意」の三つの修行が必要です。手に印を結び(身)、口でダラニを唱え(口)、座禅をして心で瞑想をします。
右の図の五輪塔は三つの修行をしている姿であると同時に、亡くなった人がみな成仏・往生した姿なのです。

密教:みっきょう 構成:こうせい 金剛界:こんごうかい 胎蔵界:たいぞうかい
曼荼羅:まんだら 印:いん 智拳印:ちけんいん 定印:じょういん
覚鑁:かくばん 身・口・意:しん・く・い 識(識大):しき  しきだい
地・水・火・風・空:ち・すい・か・ふう・くう
五輪九字明秘密釈:ごりんくじみょうひみつしゃく

2014年 1月号 第49回「五輪塔は最高のお墓⑤」

五輪塔を普及させた別所聖たちの重要な活動に「勧進」があります。

五輪塔を普及させた別所聖たちの重要な活動に「勧進」があります。
「勧進」とは歌舞伎の「勧進帳」や「五木の子守歌」にある「おどま、かんじん、かんじん」の「かんじん」で、寺院の新築や壊れた寺の復興のためにする募金活動の事です。勧進のために数千人の別所聖(高野聖)が全国を巡り、積極的に貴族や武士、庶民のお葬式をし、お墓を建てました。
また、高野山への納骨を引き受けたり写経などもしました。もちろん本来の活動の布教もしましたが、その時に覚鑁上人の「成仏=往生=五輪塔」の教えを用いたのです。
五輪塔は密教で言う「地・水・火・風・空」という宇宙を構成している五大要素を表している、といわれます。
しかしそれだけでは五輪塔を十分に理解したことにはなりません。五輪塔とは、本来亡くなった人を「成仏」させ、極楽浄土へ「往生」させるための仏塔なのです。
五輪塔が普及する前のお墓は単に「死者の埋葬地」でしたが、覚鑁は往生と成仏の意味を実証して、初めて亡き人の魂を救い、死者を本当に大切にするお墓を作りました。それはお墓の「一大革命」だったのです。

別所聖:べっしょひじり 勧進:かんじん 歌舞伎:かぶき 勧進帳:かんじんちょう
復興:ふっこう 高野聖:こうやひじり 納骨:のうこつ 布教:ふきょう
埋葬地:まいそうち 覚鑁上人:かくばんしょうにん
地・水・火・風・空:ち・すい・か・ふう・くう

2012年(平成24年)の掲載記事

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9月号 第34回
「写経の話⑤」

インドで広まったお墓にお経を写して納める(埋経)の風習は、やがて中国へ伝わりその後日本へと伝わりました。

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8月号 第33回
「写経の話④」

日本人であれば誰でも知っている「孫悟空」が主人公の「西遊記」。これは、「玄奘法師」が実際にインドへ経典を求めて大旅行をした記録「大唐西域記」がモデルになっています。

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7月号 第32回
「写経の話③」

写経をすると、はかりしれない功徳があり、その功徳(善い行い)は「貯金」のように貯めておくことが出来るのです。

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6月号 第31回
「写経の話②」

弊社でお墓を建立された方には、ほとんどの人に、「写経」をしていただいてお墓に納めています。
ではなぜ、お墓に写経を納めるのでしょうか?

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5月号 第30回
「写経の話①」

インドから中国へと、たくさんの「梵文貝葉」(サンスクリット語の写経)が伝えられましたが、中国で木版印刷が発達すると「写経」は別の意味を持つようになりました。

2012年 9月号 第34回「写経の話⑤」

インドで広まったお墓にお経を写して納める(埋経)の風習

インドで広まったお墓にお経を写して納める(埋経)の風習は、やがて中国へ伝わりその後日本へと伝わりました。
日本では平安時代に始まる「経塚」として独自の信仰が生まれています。
経塚とは、お教や仏像・鏡などを経筒や経壺に入れて霊山と言われる山のお堂や石塔の下などに埋めたものです。納められるお経は「法華経」(如法経とも言う)が最も多く、次に「弥勒下生経」「阿弥陀経」などがあります。
現在、全国に五百六十余りの経塚がわかっています。平安時代に経塚を日本に伝えた、天台宗三世・円仁(慈覚大師・八六四年没)が遺言して作らせた比叡山・横川の如法堂や関白・藤原道長が吉野山の金峰山寺に埋めた金銅製の「経筒」(国宝)はその代表的なものです。
藤原道長の経筒には、「阿弥陀経は極楽往生のため、弥勒経は生死の罪を除く・・・」(銘文)
とあり、円仁の経塚には「願わくばこの功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」(如法堂筒記)と願文にあります。

経塚:きょうづか 経筒:きょうづつ 経壺:きょうつぼ
如法経:にょほうきょう 弥勒下生経:みろくげしょうきょう 阿弥陀経:あみだきょう
円仁:えんにん 慈覚大師:じかくだいし 比叡山:ひえいざん
横川:よかわ 如法堂:にょほうどう 関白:かんぱく
金峰山寺:きんぷせんじ 生死:しょうじ 銘文:めいぶん
願わくば:ねがわくば 功徳:くどく 以て:もって
普く:あまねく 一切:いっさい 及ぼし:およぼし
衆生:しゅじょう 成ぜん:じょうぜん

2012年 8月号 第33回「写経の話④」

「西遊記」は「大唐西域記」がモデルになっています。

日本人であれば誰でも知っている「孫悟空」が主人公の「西遊記」。これは、唐代を代表するたいへんな高僧「玄奘法師」が実際にインドへ経典を求めて十七年間にも及ぶ大旅行をした記録「大唐西域記」がモデルになっています。
この書は当時のインドや西域の仏教事情を見聞した貴重な記録ですが。その中にお釈迦様のお墓(卒塔婆ストウーパ)をつくって「写経」を納める「埋経」の事が出ています。
「インドの風習に香木の粉末を練って高さ五~六寸の小さな卒塔婆を作り、書き写した経文をその中に安置する習慣があり、これを法舎利と言っている。その数が殖えると、もっと大きな卒塔婆を建てて、これをみな集めて常に供養を行うのである」(水谷真成訳「大唐西域記」第九「摩掲陀国」下・平凡社)
お釈迦様の仏舎利(ご遺骨)が無いときは、仏舎利と同じ価値があるとされる「写経」が用いられました。これを特に「法舎利」と言います。
これを見ても当時のインドでは、お墓にお経を写して納める(埋葬)風習が広く行われていた事が分かります。

孫悟空:そんごくう 西遊記:さいゆうき 唐代:とうだい
玄奘法師:げんじょうほうし 大唐西域記:だいとうさいいきき 見聞:けんぶん
卒塔婆:そとうば 埋経:まいきょう 香木:こうぼく
経文:きょうもん 法舎利:ほうしゃり 殖える:ふえる
卒塔婆:そとうば 埋経:まいきょう 香木:こうぼく
摩掲陀:まがた 仏舎利:ぶっしゃり 法舎利:ほうしゃり

2012年 7月号 第32回「写経の話③」

写経をすると、はかりしれない功徳がある

写経をすると、はかりしれない功徳があり、その功徳(善い行い)は「貯金」のように貯めておくことが出来るのです。そのうえ自分で貯めた功徳は、貯金と同じように、亡くなった人の幸せ(冥福)の為や、他の人にも振り向ける事ができます。
他の人に融資が出来るのです。これは大乗仏教を支える重要な「回向」の考えです。
写経の当初の目的は記録でした。中国では後漢の頃(二五~二二〇年)に始まり、日本では天武天皇の白鳳二年(六七三年)に「始めて一切経を川原寺に写したまふ」(『日本書紀』第二十九)とあり、飛鳥でお教の全集(一切経)が書き写されました。後に写経司(役職)や写経所(役所)が置かれ国家事業になって行きます。
それと同時に、記録とは別に「功徳」を積み、亡き人の生前の罪を無くすこと(懺悔滅罪)などを願って写経が盛んに行われました。
写経の末尾に「願文」(願い事)や「為書」(目的)を書きますが、奈良時代のお寺や正倉院に残る写経は、ほとんどが「過去七世の父母」の為の「追善」とか「滅罪」を込めた「願文」が書かれています。

功徳:くどく 善い:よい 貯めて:ためて 為書:ためがき
冥福:めいふく 融資:ゆうし 回向:えこう 追善:ついぜん
白鳳:はくほう 一切経:いっさいきょう 川原寺:かわらでら 滅罪:めつざい
飛鳥:あすか 写経司:しゃきょうし 末尾:まつび 願文:がんもん
正倉院:しょうそういん 父母:ぶも 亡くなった:なくなった
天武天皇:てんむてんのう 大乗仏教:だいじょうぶっきょう
懺悔滅罪:ざんげめつざい

2012年 6月号 第31回「写経の話②」

木版印刷が発達すると「写経」は別の意味を持つようになりました。

インドから中国へと、たくさんの「梵文貝葉」(サンスクリット語の写経)が伝えられましたが、中国で木版印刷が発達すると「写経」は別の意味を持つようになりました。
「写経」は多くの人々を救う目的の「大乗仏教」のお坊さん達によって始められました。(中国・チベット・朝鮮半島・日本に伝わった仏教はほとんどが大乗仏教です)
大乗仏教のお経には「写経をすると、計り知れない功徳がある」と説いています。特に強調しているのが『法華経』の「法師品(第十)」で「法華経を心にとどめ、口で読み、人に教え、手で写経し、このお教に花・香・水などを供え、供養し合掌し、うやまえば・・(中略)この人は来世で必ず仏となる」とあります。
写経」をすれば来世では必ず仏となれるのですから、大変な功徳です。
ちなみに「功徳」とは、善い行いを積むことで「解脱(完全なさとり)」を得るための「福徳」が備わることです。
写経のほかに功徳を積むには、寺を造る(造寺)・仏像を造る(造仏)・卒塔婆(ストウーパ)を造る(造塔)・三宝(仏・法・僧)を供養する。などがあります。

梵文貝葉:ぼんぶんばいよう 大乗仏教:だいじょうぶっきょう 功徳:くどく
法華経:ほけきょう 法師品:ほっしぼん 来世:らいせ
善い:よい 解脱:げだつ 福徳:ふくとく
備わる:そなわる 卒塔婆:そとうば 三宝:さんぽう

2012年 5月号 第30回「写経の話①」

お教の始まりは必ず「如是我聞」で始まります。

弊社でお墓を建立された方には、ほとんどの人に、「写経」をしていただいてお墓に納めています。
ではなぜ、お墓に写経を納めるのでしょうか?
どんな意味があるのでしょう。
仏教は、今から二千五百年ほど前の古代インドでお釈迦さまによって生まれました。
お釈迦様は八十歳で入滅されましたが、入滅後残されたお弟子さんたちが集まって、お釈迦様の言葉(教え)を正しく残すため「私はこのように聞いた(如是我聞)」と全員でひとつづつ確認しながらまとめました。それがお経の始まりで、お教の始まりは必ず「如是我聞」で始まります。
これは聖人の言葉は「口伝」するというインドの古い習慣により文字にせず、そのまま暗唱して伝えられ、お釈迦様の入滅直後から数百年間にわたり行われました。(仏典結集)
それから数百年後に、口伝ではなくターラ(多羅樹)の葉に文字でお教が記録され始めました。これが「貝葉」といい「写経(お教のコピー)」の始まりです。
日本にも中国から入った古代インド語の貴重な「梵文貝葉」が奈良の法隆寺に残っています。

入滅:にゅうめつ 如是我聞:にょぜがもん
口伝:くでん 仏典結集:ぶってんけつじゅう
多羅樹:たらじゅ 貝葉:ばいよう
梵文貝葉:ぼんぶんばいよう

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